西牟田靖のこれまで

1970年3月5日 大阪生まれ。

勉強・運動ともに飛びぬけてできるわけではなかったが、根拠のない自信だけは人一倍強かった。中学のころ、洋楽のレコード(当時CDはなかった)やパソコン(FM-7)にはまり、自分が凝り性だということに気がついた。

 

1988年に神戸学院大学に入学。凝り性な性格と好奇心があいまって海外旅行にはまってしまう。今考えるとそれが人生の方向を決めるきっかけだったかもしれない。1991年2月に西ヨーロッパ一周、1991年8月に中国のシルクロード、1992年7-9月に世界一周に失敗し中国雲南省へ。1992年12月ロシア-ウクライナ、1993年3月インド。

 

バブル崩壊直後でまだ景気がよかった1993年、コンピュータ会社に就職。上京。しかし世界一周がしたくて退社。ピースボートで念願をかなえる。

 

その後フリーターをしていたが、たまたま遊びに行った 「GON!」(ミリオン出版)の編集部で仕事を依頼され、ライターになる。(95年の春)

 

最初の記事は「ピンクのおっちゃん震災日記」(「GON!vol.7」、95年)というもの。神戸の震災時ボランティア活動をしていたときに取材させていただいたもの。

95、96年は「GON!」「裏モノの本」(三才ブックス)、各種成人雑誌などサブカルに強い突撃系ライターとして活躍。

 

転機となったのは96年ごろ「格安航空券ガイド」(双葉社)に書き始めてから。豊富な旅行経験をもとにヤジ馬的な視点で書く。みずからを「世界を巡るヤジ馬」と称するようになったのはこのころだったと思う。97年には「僕たちの深夜特急」(スパイク)を一人で書き上げる。

 

それ以降はアフガニスタン(タリバーンに拘束される)、空爆直後のユーゴなど自費で積極的に海外取材を敢行。このころ(98年)に「格安航空券ガイド」(双葉社)で知り合った加藤健二郎らに誘われて豊島区の東長崎に引っ越しした。

 

三十を前に人生についてあれこれ悩んでしまった。2000年1月、愛車の原付カブ(新聞配達用バイク)にまたがり、ふらっとあてのない旅に出た。その旅は3年(~2003年3月)にも及んだ。日本国内はもとより、戦前に日本が統治していた国、地域にも足をのばした。その途中の2001年の春、「世界殴られ紀行!」を出版。

2004年 

高円寺に移住。旅の模様を発表すべく著書執筆の日々。

2005年 

2月『僕の見た「大日本帝国」』を出版。ベストセラー。新潮ドキュメント賞の候補に。

5-6月 沖ノ鳥島、硫黄島へ。

2006年 

2月『写真で読む 僕の見た「大日本帝国」』を出版。

夏『裏の沖縄 表の沖縄』出版。

10月 北方領土取材(国後、色丹)

2007年 

3月 尖閣諸島上空を取材。

8月 結婚。

秋 アルバニアへ新婚旅行。

2008年 

秋 『誰も国境を知らない』出版

日本各地の廃墟などを取材し『ニッポンの穴紀行』を連載開始。

12月 エチオピア全土を夫婦で旅行。

2009年  

『ニッポンの穴紀行』の取材のため毎月日本各地取材。

2010年 

春 カンボジア取材。『僕の見た大日本帝国』の文庫版出版。

7月 女児誕生。

秋 『ニッポンの穴紀行』出版。

2011年 

4月以後、福島県各地を取材。『ニッポンの国境』出版。

2013年 

12月 『〈日本國〉から来た日本人』出版。

2015年 

2月 ブラジル取材。

3月 『本で床は抜けるのか』を出版。ベストセラーになる。

7月 モンゴル取材

秋 『誰も国境を知らない』文庫版出版。

2017年 

1月 ボリビア、ペルー取材。ゲバラ最期の地やアマゾンなど。

『わが子に会えない』出版。

春 シングルマザーへのインタビュー取材連載をサイゾーウーマンで開始。(2018年12月まで)

2018年 

2月 メシ通で『極限メシ』の連載開始

3月 『本で床は抜けるのか』の文庫版発売

8-9月、11月 四半世紀振りに中国各地を取材。新疆ウイグル自治区や雲南省も含む。

2019年 

6月 中央アジアの北朝鮮と呼ばれるトルクメニスタンを弾丸取材。

11月 『極限メシ』を出版。

 

2020年 

3月 『中国の爆速成長を歩く』を出版

 

8月 コロナ禍の中、沖縄の那覇、与那国島、石垣島を取材。

       (10月に「週刊新潮」に『「尖閣」で中国と闘う漁師たちの証言』として発表)。

 

11月 『子どもを連れて、逃げました。』を出版